IMALOG

大学を休学してフィリピンでインターンをしているYouTuberのブログ

プロフィール

今村健太 Kenta Imamura

LITL068

年齢: 23歳

出生: 1993年10月3日

出身: 東京都

職業: 大学生(休学中)

血液型: AB型

好きな食べ物: 鶏肉

Webサイト:kentaimamura.com

Youtubeチャンネル:https://www.youtube.com/user/imamuride/featured

Twitter: @imamuride01

Instagram:https://www.instagram.com/imamurider/?hl=en

Tumblr: http://imamurider.tumblr.com/

Vine: https://vine.co/imamurider01
 

来歴

1993年10月3日 東京の下町に生を受ける。生まれた瞬間から看護師に肌の黒さを指摘される。

小・中と普通に近所の公立に通う。陰キャラで割りといじめられる。

都立晴海総合校に進学。部活でバスケに打ち込むも全然うまくならず。
受験には力を入れず、大学進学が決まった頃に当時好きだったYouTubeに動画投稿を始める。

家から近いという理由だけで千葉商科大学に進学。

2014年11月30日 自分の名前でドメインを取得。同時にブログ「基本ダルい」を開設。

2016年7月。インターンをするためフィリピンに渡航。ブログの名前を「IMALOG」に変更。現在に至る。

詳しいプロフィール

幼少期

1993年、東京の下町におぎゃーと生まれる。
母から聞くところによると、私をとりあげた看護師の第一声は「黒い」だったとのこと。それ以来、生まれてこのかた肌の色をいじられなかったことがない。

家族は小さな印刷会社をやっており、自社ビルとかもあって従業員も30人くらいいて私の爺さんが社長だったので、自分は結構金持ちなんだと思っていた。自分もいつかこの会社で働くのだろうと、漠然と想像していた。

その頃からお金が大好きだったらしく、幼稚園の卒園式で保護者に向かって言う将来の夢は「銀行の頭取」だった。我ながらにガメついガキだと思う。

小学校

小学校は地元の公立に入った。前半はお調子者で、後半はいじめられっこだった。
かなり周りに不快感を与える子供だったと思う。泣き虫だったのも助けて、見事な陰キャラに育ち高学年の時には人類をヘイトしていた。それでもとりあえず学校は行っていて、日々ビクビクしたりしながら過ごす。

近所の警察署で剣道を3年位やっていたりしたので、体育会系的な根性と物理的な打たれ強さは身についた。他にいろいろ習い事をしていた気がしたが覚えていない。

中学時代

またしても地元の公立に進学。ここで、自分は結構勉強ができるのだと知る。学年上位にいることが多かったし、自治体の理科クラブとかで研究をして賞を貰ったりしていた。学級委員とかもやった。ただ、ここでも割りといじめっぽい立場になってたけど、中学デビューしたり部活(バスケ)に自分の居場所を作ったりして、結構充実して過ごす。

多少音楽の素養があるらしく全校合唱とかの指揮者をさせられる。いま考えると、全校合唱って本当に意味が解らない。なんであんなことクソ真面目にやってたんだろ。

部活でバスケを初めて、剣道はやめた。

部活で先輩が練習をしないのが気に入らず、全員追い出して自分が部長になるという力技をこの時覚える。剣道で手に入れた根性は多少役に立った。バスケはうまくならなかった。

中学3年の夏に、爺さんの会社が倒産し、一時期両親が無職になる。
これが割りと中学生の今村少年には応えて、後に資本主義への復讐を心に誓う。

同じ時期に自治体の青年海外派遣事業に応募したら受かっちゃって、体感的には初めての海外経験をデンマークで一週間詰む。世界は広かったり、英語って大事やな、とこの時実感する。

バスケのし過ぎで後半はあまり勉強をしなくなっていた。部活を引退するとやることがなかったり、会社が倒産したりで多少やさぐれ、二次元の世界にどっぷり浸かりオタクと化す。週3で自宅から自転車で秋葉原に通う始末。(当時はアキバの近くに住んでいた)

パソコンを多く触るようになったのはこの頃。HTMLを覚えて友達とくだらないWEBサイトを作っていた。初めてブログを作ったりもした。今では考えられないが当時はアメブロの勢いが凄かった。

ビデオとか始める

動画やビデオに興味を持ち始めたのもこの頃。
初めて作ったビデオ作品は今でも覚えてる。当時ラジオ小僧だった私は、J-wavaでやっていた「金剛地武志のTomorrow」という番組を毎晩聞いていた。その番組の中で、ラジオドラマという形でサザエさん的な小話が毎晩流れるのだけれど、このキャラクターの画像とドラマの音声素材が配布されていて、番組がプロモーションしているソフトをダウンロードしてそれを使ってビデオを作ってくださいっ!っていう取り組みをやっていた。多分、それで作った出来の悪いスライドショーみたいなラジオドラマが最初のビデオ作品だと思う。

ニコニコ動画が流行り始めた最初期の世代だったりして、当時のゆるいインターネットに甘んじて、アウトなコンテンツをいじり倒してたりしていた。友達とつまらない映画を撮ったりもした。

とはいっても受験期になるとやばいやばいと勉強を始め、志望していた都立晴海総合高校に進学する。

高校時代

高校でもまたバスケしかしていなかった。
また、全くうまくはならなかったけど。

中学のときと違ったのは勉強をまったくしなかったし、成績も取れなくなったこと。常に赤点ギリギリをさまよう日々だった。

高校生活でもう一つ印象に残っているのは、文化祭で放映する映画をずっと作っていたこと。1年の時はホラー、2年の時はSF、3年の時は恋愛モノと歌モノのパロディ。高校の文化祭の記憶と言えば、一週間ぐらい前からスケジュールが押してきてデスマーチが始まり、早朝授業が始まる前に撮影をし、授業中は爆睡して、放課後もまた撮影をし、家に帰って徹夜で編集という、なんともリアルすぎる映像制作の記憶だけである。

ただこの頃から凝り性が出てきた。自分が納得いかない作品が文化祭で流れれるのが耐えられなかったのかもしれない。実際納得の行く映像なんて作れた試しがないのだけれど。

2年の文化祭のクラスでの話し合いは、もう既に私が映画を作る感じで空気が出来上がっていたし、3年の時には当然の如く役割分担を回されていた。つまるところ、ぬるい文化祭の便利な人材として、都合よく担ぎだされ使われ続けたのである。

だたそれも解ってはいたけれども、嫌ではなかった。スケジュールが押してきたり、脚本がずぶずぶだったり演技が大根だったりするのはあまり面白くはないけれども、その制作過程や創作を作り出す作業はとても楽しかった。
自分の頭のなかにあるイメージを映像として形にする過程と結果がより理想に近くなっていくのが面白くて仕方がなかった。

そんな感じだったので調子に乗って修学旅行や遠足時には動画を撮りまくって、編集したものをFacebookに投稿して、友人と共有して遊んでいたりした。

話は少し戻って高校1年の冬。この頃に経営者を志すようになる。理由は前述の通り、資本主義への復讐である。

とまぁカッコイイかどうか解らない言葉になってしまったが、実際のところは自分の人生に少し箔とストーリーが欲しかったというのが実際のところである。少しキャッチーなストーリーの主人公として自分を置くほうが面白そうだったし、生きる原動力になるように思えた。それが「倒産した会社の孫が企業して成功する」というなんとも聞こえの良いサクセスストーリーになっというだけどの話である。

ちなみにその目標は今も継続中。私の人生はこの時に方向づけられたと言っていい。

YouTubeを始める

YouTubeを多く見始めたもの高校時代。いまや時の人となったHIKAKINが、HIKAKIN TVのチャンネルを開設する前だったり、JetdaisukeがYouTubeの顔だったり、瀬戸弘司が初めてiPadを買った時期だったりという、まだ世の中にYoutuberという言葉がない時代の話である。

ガジェットのレビューとかが、こんなに面白いのかと、狂ったように毎日そんな動画ばかり見ていた。

2016/11/27